ありがとうございましたといいつつ、無意識に振り返るとそこに見送りをする店員さん。
お客様を見えなくなるまで見届ける。なんてテレビでやってたことを真似したんだがわからんが、
たまにされると非常にもやもやする。
そんな頭を下げないでくれよと。僕は神様じゃないよと。
義務感をもってやることは「サービスが良い」とは言えない。人を不愉快にさせた時点でサービスは一流ではないと思う。
本心からそういう気持ちで取り組んでいて、僕がそれを見抜けなかったのだとしたら
それは僕側に落ち度があるかもしれないけれど、でもやっぱり落ちつかないからやめて欲しい。
なら自分が振り返らなきゃいいじゃないと。そもそも何で振り返ったんだろうと。
少なくとも僕が自信満々ではないことは間違いない。
高いお金を払った環境に行くと、手荷物を持って来てもらったり、細やかなサービスもある。
しかし、それまた落ち着かない。そんなことは自分でやる。人の手を煩わせる事もない。
と言ってそこで自分でやってしまう事は彼らの仕事を奪ってしまう事になる。人の手を借りるのも一つの礼儀なのである。
大分都会に住んでいるといっても生活圏は下町。そんなに富が豊かな人だらけではない。
人の見えない部分で考えが交錯しているからこその暗黙の了解が見え隠れする。
これもまた、儀ではないだろうか。
基本的にほっといてくれるスタンスがあるお店は居心地がいい。なんのお咎めもなく自由に見られる。
そういう店は久々に行くと潰れてるなんてことが普通より少し多いのが難点だ。
朝一の大型家電量販店に行った時、店員一同にいらっしゃいませーといって向かいいれられたのは、気持ちがいい!というよりもむしろとても気持ち悪くて仕方がなかった。
感覚の相違がみられるということは同じ様に判断してはならない。
つまり、自分が行くお店あるいは時間帯ではない。というのがこの儀対しての妥協点だというのがわかる。
違う質のものは共存にも排他にもどちらにもとれる。
理解あっての共存や、理解しない・出来無い別のものとして共存も出来る。
逆に理解して関わらないのも、無理だと思って関わらないのも儀ではないか。
そこには各々の裁量によって構築される間合いが原点にある。